フロンティアエイジ12月号 第13面
やるやん
脳梗塞後も描き続け19年 濱 哲郎さん(京都市)
右がダメなら左手で・・・ 意欲なお衰えず
まるでアトリエのような居間。イーゼルやパレットや絵筆を背に白髪の濱哲郎さん(83)は椅子に
ゆったりと座り、ほほえんで話し始めたのだが、よく聴き取れない。すかさず夫人の節子さん(75)が“通訳”してくれた。「酒飲めない奴は男やないそうですよ。自分は右の手足がぶらぶらで、
お酒も少ししか飲めなくなったのにねぇ」

若いころからもっぱら日本酒で、食べないで大酒を飲んだ。脳梗塞になるのも道理、と思ったのだが、節子さんは「お医者さんによると、脳梗塞の原因はストレスですって」。
長野県諏訪市の生まれ。
京都に転居して
小学校入学。旧制高校時代に海軍へ入ったものの1年で終戦。改めて祖父の血を継いで京都市立絵画専門学校図案科へ進んだ。卒業後、独立美術協会の須田国太郎についたが、竹中三郎に誘われて自由美術家協会会員に。しかし暮らしは楽でなく、1950(昭和25)年、
大阪・高島屋宣伝課に入社。そこで節子さんを知り64年、有志で主体美術協会を設立した。
その頃から画家として売れ始め、仏画や壁画の注文まできた。オランダ・アムステルダムの
ホテルのロビーの壁には、江戸期に描かれた南蛮船の絵が濱さんの手で模写されている。
仙台の会社社長に認められ、よく欧州
旅行に誘われて同行した。今秋の主体第45回記念展(京都市美術館)に出展した「セゴビアの水道橋」(100号)も、今月23〜25日になんば高島屋である朝日チャリティー美術展に出す「セゴビア」(4号)=写真=も当時のスケッチからの作品だ。
大阪、
東京、仙台などを駆け回っていた64歳の3月、脳梗塞で倒れた。「右の手足が動かなくなったのに、病院から家へ帰るとすぐ下絵を描き始めたんです。左手でね、ゆっくり時間をかけて。びっくりしました、あの時は」と節子さん。絵描きだから、ただ、描きたかった。注文に応じていない作品も沢山あったから―それが、濱さんの心境だった。
患って19年余、左手での画風は穏やかになり、心の広さ、柔らかさ、温かさといった人柄がスペインの風景にも色濃くにじむ。だが、キャンバスに向かう気迫は未だ衰えない。「150号に描きたい」「古里の長野も描いて見たい」とつぶいて、節子さんを困らせる。 (崎)
posted by 雑用社長 at 09:33| 大阪

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暮らしと住まい
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